book_icon02.jpg コテコテ書店日記 01/12/20
coverimage 第28日 

死ぬのはいやだ、こわい、戦争反対!、の巻 

 ああ……。とうとう早く書けって叱られちったよ。
戦争の話を書こうとしたんだが、どう転んでも、面白い話にはならないね、これは。 アメリカが軍事的に「テロリストを匿う政権」を覆して終わりになりそうな展開だが、これで「テロが撲滅できた」と考えるのは大間違いだろう。
 この戦争で、米兵は公式には殆ど死んでいない。「戦争」と言い上、アメリカの一方的な「人間狩り」でしかなかった。これは逆説的に、アメリカに対して、まともに正面から戦争をしようなどという事は、そもそもなんの意味もないことであり、ますます「テロしかない」ということにしかならないのではないのか?

■ 嗚呼、懐かしの冷戦時代
 俺がガキの時分には、世界は二手に分かれた対立構造の中にあった。世界は「極道代理戦争」の構図ですべてが説明されるものであった。二つの体制が互いに相手の駄目さを言い、同じようなやり方で世界の周縁化された人々をコマにして行う軍人将棋、これが冷戦時代の世界の姿であった。
 我々は2つの陣営が互いに滅ぼし合うだけの武器を持っている、という事実に恐怖し、我々は我々の愚劣さによって滅びるのであろう、という予感をもって生きてきたのである。
 89−91年に、一方の陣営の敗北により冷戦は終わり、「世界の終末」は遠のいた。俺はこの事態に、率直に喜んだと思う。世界中の戦争の裏から手を引いている二大陣営の一方が崩壊し、「戦争をおこなう理由」が世界にはなくなった、という風に考えたのである。
 しかし、世界はそういう塩梅にはならなかった。
 世界には、なんで今更発生するのか理解できないような戦争が続発したのである。
それはソ連・東欧圏の崩壊にともなう「混乱」では止まらなかった。

■ これはどういう奴らの戦争か?
 アメリカが行った湾岸戦争は、この世界を整理しようとしたものである。世界新秩序。世界の秩序はアメリカが整理し、仕切る、ということを宣言しようとしたのが湾岸戦争である。中東地域でそこそこの軍事力を持つと見られていたイラクは徹底的に叩かれ、アメリカに軍事的に逆らう事の不可能性を見せつける事で、アメリカは世界の一極支配を完成させようとした。この「世界新秩序」は、アメリカの軍事的優位を見せつけ続ける為には、アメリカは世界のすべての戦争に介入することを必要とするのである。
 冷戦崩壊以降、アメリカが戦争してきた相手とは、イラクのフセイン、パナマのノリエガ、今回のビンラディン、と、「レーガンの盟友」ばっかりである事に注目しよう。アメリカは冷戦時代に、彼らを「共産主義の防波堤」として利用し、そしてその中で彼らは軍事的に肥え太ってきたのである。それを今度は、アメリカの軍事力を見せつける為の当て馬として使用した。ビンラディンの語る「怒り」、アラブ圏で広範に支持されている「怒り」とは、このようなアメリカの利用主義的態度に向けられたものである。
 これらの、アメリカに捨てられた「盟友」は、そもそもは、どのみちろくなもんではない。冷戦構造の中で肥え太った、戦争の犬である。全く、漫画の悪役のように、典型的な悪者がやりそうな事をきっちりやる、不愉快な奴らが揃っている。
 ビンラディンは、その行為の招くところのもの、アフガンへの攻撃という事態を想定していなかったのであろうか?そんなことはあるまい。タリバンとアルカイダは明らかに別のものであり、またアフガン民衆も別のものである。しかし、アメリカはアフガニスタンに爆弾を落とす。アメリカは、理屈もヘチマもなく、そういう事をやる国である、というのは、彼らは知ってる事である筈なのだ。
 そう、こいつらは、端からアフガニスタンの民衆、兵隊にとられたり「誤爆」で殺されたり、難民化したり飢えたりする、アフガニスタンで普通に暮らしていた人々のことなんか、どうでもいいと思ってるとしか思えないのだ。彼らの目的は、「自分の戦争」の継続である。

 これで、ビンラディンが捕捉され、アルカイダが壊滅すれば、事態は収束するのだろうか。そんなことはあるまい。アルカイダの出発点は、湾岸戦争時に、サウジに米軍が駐留した事を、アメリカによる聖地の蹂躙、と捉えた事に始まる。今回のアメリカのアフガン爆撃が、どのように捉えられるか、という事を考えれば、「これで終わり」などということはあり得ない、と考えるべきであろう。

 アルカイダは、WTCで多くの「何の罪もない」人々を殺した。で、アメリカはアフガニスタンの「何の罪もない」人々を、同じように殺すことで答えた。全く、こいつらは同じような、不快な事をやる奴らである。
アフガニスタンで羊飼ってるような人が、ニューヨークの大量殺人に、一体、どういう責任を持てるというのか? こいつらのくそくだらない戦争ごっこで殺される死者は、一体何のために死んだのだろうか?
 ああ、ホントに戦争はいやだ。

■ 思い出したように書評
『9.11 アメリカに報復する資格はない!』(ノーム・チョムスキー、文藝春秋、1143円)。
 チョムスキーは言語学者が本業で、もお言語学業界では一大潮流をなしてるらしいのだが、そっちの方はよくわからん。反戦運動のイデオローグとしての本である。
11月の時点で、これが訳されて出てる、というのは、実に早い。もお、9月からほったらかしにしていたこの日記など比べようもない早さである。んで、文春がこういうものを出す、というのも、すげえ現象である。
 しかし。この訳はなんなんだ?インターネットの翻訳支援ソフトで訳した文章かと思ったよ。あるいは、テレビの「同時通訳」の訳だな、こりゃ。しかも、アメリカでの発言であって、アメリカでの諸前提については当然にも、チョムスキーはいちいち言及しないのだが、それについての注釈が、全然ない。
 このタイトルのおかげでそこそこ売れるだろうけど、これ、反戦運動業界の人間しか、読めないんじゃないか?
ということで、サブテキストも紹介しておこう。

image02 『アメリカが本当に望んでいること』(ノーム・チョムスキー、現代企画室、1300円)。
 湾岸戦争直後の本なのだが、ちゃんと仕事をしてあるので、チョムスキーをそもそも知らないような人はおすすめ。
帯のアオリがいいぞ。
「われわれが米国内で米国の政策を阻止すれば、第三世界の人々が生き延びる可能性は増す」。
 アメリカの大統領が交代するたびに、「ああ、こいつはどのくらい人を殺すのかなあ」という事を、考えざるを得ない訳だが、その辺の仕組みをこれ以上明快に書いてある本を、俺は知らないね。

文:おっちゃん
神戸市の下町にある書店の店長。謎が多い。
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